Ossie Clark - オジー クラーク †
オジー クラークの解説 †
オジー クラークは1942年6月生まれ、イギリスのファッションデザイナーです。彼は、1960年代からのイギリス・ロンドンのファッションシーンにおいて重要な役割を演じました。
オジー クラークのデザインはそのヴィンテージな雰囲気の中に、現代にも通じる普遍性で、現在でも尊敬の対象になっています。
1942年にランカシャーで生まれたオジー クラークは、姪や甥の為にしばしば服を製作しました。彼の裁縫の技術は、人形の服作りや、近所の女の子の為の水着作りなどの中で培われ、10歳の時には既に一通りの技術を身に付けていました。
13歳の時からオジー クラークは建築を学びます。ここで建築の上での高さと容積のバランスの重要さを学び、これが後の彼のファッションデザインに重要な影響を与えることになりました。
ほどなくして、この学校を去ると16歳の時にマンチェスターの美術大学に入学、熱心に通います。しかし家から遠い距離にあった学校に通うために、早起きを強いられ、母親のアンは彼に処方箋に則った薬を毎日与えます。これが彼のその後の薬物中毒へのきっかけとなりました。
マンチェスターの美術大学を卒業すると、オジー クラークはロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートに入学します。1965年に優秀な成績で卒業すると同時に、その時に開いた卒業制作のコレクションは高い評価を得ました。その後彼のフルコレクションはニューヨークのヘンリ ベンデルにより購入され、販売されました。
1969年には、学生時代からのパートナーである、セリア・バートウェルと結婚、二人の息子をもうけました。しかし彼が望んだ家族との生活は10年と持たず、二人は離婚しました。
1977年に、デザイン活動を再開、ファッション業界に復帰した彼のコレクションはファッションショーで喝采を浴びます。1980年代になると、パンクロックのブームを受け、オジー クラークのデザインは取り残された状態になります。この間、彼は仏教へ傾倒するなど、仕事から遠のき、1984年にブランドは破綻しました。
その後はフリーランスのデザイナーとして、一品もののドレスをデザインするなどの活動をし、ベラ フロイドを育てるなどの功績を残しています。
しかし、再起を願う声の多い中、1996年、オジー クラークはかつての恋人であるディエゴ・コゴラートにより命を絶たれました。
オジー クラークのデザインは、イヴ サン ローラン、トム フォード、マノロ ブラニクなど、多くのデザイナーが影響を受けたことを認める発言をしています。
オジークラーク:C1970 Ossie Clark Empire Black Chiffon Gown
オジークラーク:THE OSSIE CLARK DIARIES Penelope Tree 1st edt. H/B book
オジークラーク:The Ossie Clark Diaries (V. Rare) - Hardback, First Ed
オジークラーク:Judith Watt OSSIE CLARK 1965-74 New York: Harry Abram
オジークラーク:Superb Vintage Ossie Clark Birtwell Heart Print Dress
オジークラーク:THE LONDON LOOK Vivienne Westwood BILL GIBB Ossie Clark
オジークラーク:1969 Architectural Design ARCHIGRAM Ossie Clark LENNON
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