Ji Haye - ジィ ヘイ †
ジィ ヘイの解説 †
ジィ ヘイはパリをベースとして活躍する韓国系のデザイナーであり、そのブランドです。
その才能は高く評価され、ルイ ヴィトンを擁するLVMHグループはジィ ヘイを次世代のファッション業界をリードするデザイナーと呼び、ダナ キャランの後を継ぎ世界一のデザイナーになるポテンシャルを持ったデザイナーだと称えました。
ジィ ヘイのデザインインスピレーションは仏教寺院や壁画、そして野に咲く花などから得ています。これらは彼女が生まれ育った韓国に根付いたものであり、実際に、彼女のデザインには自然に色落ちした韓国素材や、韓国でポピュラーな刺繍に取り入れられています。
1980年代当時、ジィ ヘイは文学の道を究めるべく、超難関のソウル大学に入学します。しかし彼女が20歳の時に父親が亡くなると、その葬式にはほんのわずかな列席者しか無く、これが彼女に大きなショックを与え、悲しみを深めることになります。当時を振り返り彼女は「私の父は自身をなげうって多くの人々を助けた医者でした。しかし葬式を目にして自分がどのような環境で育っているのか、そして世の中はなんと冷たいものか身をもって知りました。」と言います。このことを受け、彼女は伝統的な社会からの脱却を試み、平凡に結婚する道を捨て、1987年に日本に移ります。
その後、二年を経てジィ ヘイは早稲田大学の文学部に入学を果たします。ここで彼女は人生に影響を与える経験をします。大学に行くと、真夏に安全靴を履き、多くの安全ピンをズボンにつけ、青く染めた頭を立てた格好の男子学生を目にし衝撃をうけます。そして人々がファッションにより開放され得ることに気づいた彼女は、洋服作りを通じ、自分自身そして人生にのしかかるプレッシャーを跳ね除けようと考えます。
こうして大学を中退するとジィ ヘイは1989年に文化服装学院に入学、ファッションデザインを学びます。1991年にはパリへと移りオートクチュールファッションを学びます。しかしここで彼女は言われなき差別を受け、自身が韓国人であるというだけで二流デザイナーであるとされる状況に苦悩します。それまでの間はフランスのファッション業界にとって、アジアとは即ち日本であり、ジィ ヘイが現れるまでは森英恵が唯一のオートクチュール協会に参加するアジア人でした。
このような差別はフランス人からだけでなく、同じ韓国人からも受け、当時フィガロ誌にいた韓国系の編集者は彼女の名前を雑誌から削除した他、彼女の下でインターンとして働くことを望んだ学生は実際は別の韓国人デザイナーのスパイということもありました。このような中、希望を捨てずにデザインを続けジィ ヘイに、フランスのブランド・セリーヌが救いの手をさしのべます。彼女のプレタポルテデザインを、世界中のセリーヌの店舗で販売することを申し出たのです。
こうして成功を手にしたジィ ヘイは1990年代からフランスファッション業界で冒頭に示したような高い評価を受けるファッションデザイナー・ブランドとして活躍しています。
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